遅ればせながら、
私、Hitoの自己紹介をしたいと思います。
どんどん読み飛ばしてください(笑
1989年、2月22日に生まれる。
身長:169(もう少しで170なのに!←
体重:57~8
趣味:読書・映画鑑賞・映画撮影・弓道・波乗り(←最近は・・・。
好きな言葉:「なるようになる」
現在:医療系の学校に進み、理学療法士になる・・・つもりですw
では、僕自身のことを少しずつかいつまんで話していきます。
平成元年、とても一般的な家庭に長男として生まれました。
特に不自由なく、生活していたと思います。
4歳離れた弟と
10歳離れた妹がいます。
妹とは、10歳も離れてるので、少し親みたいな感じです(笑
自分が成人したときにまだ小5ですからね。
もうちょっとしたらお年玉あげないと駄目ですねm( )m
幼稚園の頃に、
母によく日本橋の三越に連れてもらっていたのを覚えています。
何時間も玄関のライオンで遊んでたみたいです(笑
この頃の夢は「医者になること」でした。
後にも書きますが、
幼少時から喘息持ちで、少し病気がちだったようです。
病気がちだったのは幼少時だけですが。
それが夢に影響しているのだと思います。
ちなみにこの時は横浜市の金沢区に住んでいました。
桜並木が綺麗でした。
中学受験をして、
当時、偏差値的には60くらいの私立校に進学しました。
中高一貫だったので、中学の間は部活に打ち込んでいました。
と、かっこいいことを言いたいのですが(^^;
学校一厳しいと言われるテニス部に所属したにも関わらず、
サボりがちでよく先輩に怒られていました。
俗に言う幽霊部員って奴ですね(笑
でも生意気なことに試合での得意技は「スマッシュ」でした★
運がいいだけですけど(^^;
先にも書いたのですが、私は幼少時から喘息持ちでして。
・学校が空気の悪いところに立地していたこと。
・新しい環境に慣れなかったこと
などの理由から、
中学に入ってすぐに非常に状態が悪くなり、
学校もしばらく休むほどでした。
学校を辞めようかというレベルにまで達しましたが、
当時通っていた病院をやめ、
別の病院にかかることで奇跡的(?)に良くなり、
今ではほとんど問題ありません。
たま~に、少し影響があるくらいですね。
それが原因では無いのですが、
結局、テニス部は高校に入ったときに辞めて。
一年間は特に何にも所属せず、適当に遊んでました。
しかし、
この頃、家では色々とあり、
結局、祖父に勘当される形で、一家で家を出ました。
当時住んでいた家は祖父の持ち家だったんですね。
逗子市に引っ越します。
と、同時に父の会社が傾きます。
不動産関係だったので、不況の煽りを受けたんですね。
そのとき既に引っ越してしまっていたので
「引っ越しておきながら、家を買えないかもしれない」
という最悪の事態が想定されましたが・・・
何とか免れ、今も逗子に住んでいます。
そのとき、
印象的だったのは家族の誰もが焦っていなかった、
ということです。
特に母親は強く、
「貧乏なときは貧乏に。お金があるときはあるように生活すればいいじゃない」
などと非常に落ち着いていました。
家族全体が楽観的なのですが、
私が楽観的な性格をしているのは特に母の影響が強いかと思います。
高校二年になって、
「何かやらないと自分が腐る!」と危機感を覚え、
同じような友人4人と結成したのが
「Ocean’s5」という有志の映画サークルです。
ここで監督兼役者として卒業までに2本の映画を撮りました。
これが本当に楽しかったです。
高校生活はこれが軸になっていたと思います。
実は卒業してからもその活動は続いているのですが、
それはまた長くなるので省略します。
そして、受験をして、何とか医療系の大学に入ります。
幼少時の夢であった医者はいつの間にか夢ではなくなっていました。
でも結局は医療系を選んだわけですから、
小さい頃の影響っていうのは大きいものだなぁ
としみじみ思ってしまいます(笑
現在もその大学に在学しています。
理学療法士になるべく、勉強して・・・る・・・かな??(^^;
そして、大学で始めた弓道。
これが今後の私の価値観を大きく変えることになります。
高校でも数回バイトの経験はあったのですが、
大学に入ってからは本格的にバイトを始めました。
と、言っても医療系の大学は時間割がほとんど必修で埋まっているので
思ったほどバイトに当てる時間はありません。
そして稼いだお金は全て部活に消えていきます。
試合の登録料や合宿費、レセプション代などでどんどん消えていくのです。
数ヶ月で部活に15万以上は消えていったと思います。
何だよ、15万かよ。
と思うかもしれませんが、
私にとっての15万は非常に大きかったのです。
そこで、初めてお金を稼ぐことが大変であること。
そして、自分がお金を好きだということに気付きます。
「はぁ?」
という感じかもしれません(^^;
が、そうなのです。
なぜ、そう思ったかというと、少し背景があります。
まず、
「父の会社が傾いた」という話を書きましたよね。
結局、形だけは残して
ほとんど倒産という形で父は会社を辞めます。
それから父は独立したのですが、
もちろん、前よりも貧乏になりましたm( _ _)m
この不景気に不動産屋が独立して儲かるわけがありません。
生活も前より大分苦しくなりました。
さらに、私を悩ませるもの。
それは「将来」です。
理学療法士という職業は本当に儲からないのです。
多くの人が「医療系は儲かる」と勘違いをしているのですがそんなことはありません。
最も損な職種は医者だと思いますが、
基本的に医療系は学費を取り戻すのにさえ苦労するのが常です。
理学療法士は人によっては10年働いても、年収が200万台だと言います。
もちろん人によって、働く場所によって変わってくるとは思います。
まぁ昨今の医療業界の話はさておき(笑
将来、お金が無いことが目に見えてるのにそれでいいのだろうか。
それを分かった上で、
この職につけるほど、自分はこの職に魅力を感じているのか。
答えは微妙でした(^^;
もちろん職業としては魅力あるものだと思います。
だから、理学療法士にはなりたい。
でも、できればお金のある理学療法士になりたい(笑
馬鹿みたいですけど、かなり悩んだんです。
それはそれは考えました、将来のことを。
今までにないくらい考えました。
実は周りの友人も私に影響を与えていました。
何せ、医学部の友人が多かったものですから。
私立の医学部に子供を入れる家というのは、決まってお金持ちです。
1人暮らしの食費に月20万なんていうのもある話でした(笑
学校を辞めるなら今・・・。
そんなことを思ってるときに書店で目に止まったのが一冊の本でした。
川島和正さんの働かないで年収5160万稼ぐ方法

この本に書いてある内容については置いておくとして(笑
シンプルに書き過ぎですよ、川島さん(^^;
初心者の方は是非読むといいと思います。
とりあえず簡単な気がしてやる気が出ます(笑
見事に騙されて、このネットビジネスの世界に入ってきました。
片手間で100万、とかそういうのは難しいとは思います。
でも、本職を持ちながらでもできる、とは思います。
みのごりさんとか、看護士でアフィリエイターですよね。
凄く勇気付けられました。
理学療法士をやりながらでもできるじゃないか!
というわけで、いくつかの即金系の商材に騙されつつも
今も何とかやってます。
最近は虎の巻という王道系情報商材に出会い、実践中です。
少しずつ、歯車が回って来た気がします。
当面の目標は月10万を安定して稼ぐことです。
始めてから日が浅いので
ここからはそんなに書くことが有りません(^^;
随時書き足していこうかと思います。
ここまで読んでくださった方がおられましたら
本当にありがとうございました。
この長い自己紹介を読んで頂いたことに感謝!!
そしてあなたと出会えたことに感謝!!
もし何か共感できることなどがありましたら
コメントに残して頂けると嬉しいです。
お金のある理学療法士を目指して奮闘中。
その軌跡をブログにて綴っているので良かったらこちらも見てください。
http://hitohitonikki.seesaa.net/
ではでは。
またどこかで!!